私がミスクコーヒー農園を取材させて頂いた際に、原生林を案内してくださった
農夫の一人であるTony Mboseさんのエピソードをご紹介します。
彼の家族はこのミスクに滞在しながらも、多くの国々の人々の影響によって
受け継がれてきました。約一時間半の間、彼は私と原生林を回ってくれ、
家族の話までしてくれました。皆さんのご紹介することで、
ミスクの一家族とコーヒーの関係を知り、
生きているコーヒーの姿を感じて頂ければ幸いです。
英国と祖父との関係性
1959年まで、トニーさんのおじいさんは、イギリスの商人、
工場運営者のもとで働いていたそうです。そうしたことから、
トニーさんの名前は “Tony”という英国系の名前になっているようです。
長い間、コーヒーは英国との関係の中で成長していったそうです。
アメリカのキリスト教ミッションスクールと教育
1947年以降、アメリカのキリスト教の宣教団の影響で、
一画の地域がその学校となりました。彼もその教育を受けて育ったそうです。
ミスクには二つの原生林がありますが、そのうちの一つであり、
トニーさんの家族が所有している地域がある
Mughese(ムゲーゼ)の森を下ってきたところに、
学校の建物がたくさん配置してあるのがわかりました。
おそらく、ミスクのコーヒー農家の子供たちの多くが
通っていたのだと思いますし、現在もその姿を見ることができます。
残念ながら、学校は私の取材させて頂いた村からは遠く、
内部は取材できませんでしたが、外観の写真はご紹介いたします。
現在のトニーさんの家族
彼には一人の息子さんと三人の娘さんがいらっしゃいます。
奥さんと子供と暮らしていますが、すぐ近くには兄弟の家々があり、
2人のお兄さんと1人の妹がいます。
その他にも、義理の弟の家などが近くにあり、食物を分け合ったり、
家畜の世話をしあったりなど、お互いで協力している様子でした。
農業を中心にして豊かにする生活
トニーさんも、他の農夫たちも、必ず朝早くに起き、
自分の農業地域を観察することから一日を始めます。
その段階を、今回森の中まで同行し、取材させて頂きました。
こうしたコーヒーを中心に、自分の作物との付き合いを中心にして、
近くの学校に通い、その豊かさを他国と分け合い培ってきた
彼の家族の歴史は、ここで育つコーヒーのストーリーを
もっと豊かにしてくれると思います。